2015年1月29日木曜日

プロパンガス

年始に叔父と会ったので久しぶりに酒を酌み交わした。

数年前に叔父が都内の家をリフォームをしたとき、家族がオール電化にしようと言ったのだが、先の震災で完全に電化にするのは不便だというのを聞いたらしく、プロパンガスと発電のハイブリットにしたそうだ。

確かに今は蓄電池も太陽光発電も性能が上がっているが、それでも十分とは言えない。

プロパンガスと灯油は、備蓄量を増やしておけば供給ラインが止まっても大丈夫というのは、地方の親戚の話。

ただ、冬場はコストがかかってしょうがないので燃料屋を変えようと思っているとの事。

叔父の家は都市ガスエリア外だが、こんな話が出るくらいなので、叔父の事だからエリア内でもボンベにこだわるのだろう。

私はその場で、都内のプロパンガスの供給会社リストをスマホで検索し、叔父に今の費用を聞いて交渉をしてみると、だいぶ安く済ませられることがわかった。

燃料業界も競争社会なのか、今の条件を提示するとあっさりと言った感じだった。

震災の話で話がそれるが、秋田と北海道の親戚は震災の時に食糧については何も苦労しなかったそうだ。

首都圏では考えられないだろうが、こう言った地方の、それも都市部から離れたところに暮らす家庭の場合、ゆうに1か月はしのげるくらいの備蓄をしているのだ。

まあ、元々農家であったという事もあるが、調味料にしろなんにしろ、商店にダースで配達してもらうのだからそのあたりは災害対策として問題ないのだろうなと感心する。

2015年1月19日月曜日

スマホデビュー

お袋がスマホデビューして2年になるが、やはり老眼の為か画面が見ずらい事が多いらしくお盆の帰省のときにめいいっぱいテキストを大きく設定した。

只テキストを大きくしても、画面の大きさは変わらないので、画面表示の切り替えが多くなってその分スクロール表示などが手間になる。

最近は大型ディスプレイが流行で、iPhoneも6になってようやく大きな画面のタイプが登場した。

正月にあった時には、自分で機種変更までしていて驚いたが、一回り大きいというだけで格段に操作しやすくなったと喜んでいた。

ふと、以前使っていた5はどうしたのかと聞くと、もう使わないから捨てようと思っていたという。

慌てて「捨てるなら売った方がいい」と言ったのだが、ずっと普段使いしていたスマホがわざわざ売りに行くほどの物かと腑に落ちない様子。

その場で6を借りて、町田でiPhone買取をやっているお店を探して相場価格を聞いてそれを伝えるとお袋はとてもビックリしていた。

もちろん、使用感や程度によっては査定が下がるのだが、それでもお袋が考えていた価値と2ケタも違ったらしい。

仕事の途中で行けるし、売ってきてやるよというと、それなら買取りのお金で娘に服を買ってあげてほしいと言っていた。

娘は、使い終わったiPhone5が欲しいと言っていたが、まだスマホは早いと夫婦同じ意見だったので早速翌日に買い取ってもらい、スポ少用のウィンドブレーカーを購入させてもらった。


2014年12月29日月曜日

電子タバコ

電子タバコと言えば、あの水蒸気の煙が出るパイプの様なものであるが、これが最近かなりの進化を見せているらしい。

私もフィットネスをするにあたって、一番初めに実行したのが禁煙。

禁煙だけで一ブログできてしまうのでここでは割愛してきたが、禁煙パイポから電子タバコにすぐに変更していたのだ。

なにせ、たばこにしろお酒にしろ「嗜好品」と呼ばれるものは、単に口寂しいからそれっぽいものを...というのではまるで意味をなさない。

基本的に嗜好品にハマる人は、生活のルーティンの中にそれを組み込んでいて、定期的にそれを手にして使用する事で安心感を得るのだ。

いままでパイポにたりなかぅたのは、「愛着が持てないプラスティックの筒」であったため、ニコチンの習慣性の魅力にとても勝てなかったと思う。

そこで、電子タバコの登場だが、これも初めはかなり味気ない金属の筒だった。



これが今や、アクセサリーや、機械のようなディテールで、リキッドやらアトマイザーやらと、凝り性の人間を刺激するコレクトアイテムが続々と電子タバコ通販でリリースされている。

カッコいいアイテムを探しては、ポケットに入れて、気が向けばカチャカチャと組み合わせだアイテムで好みのフレーバーを楽しむという一連の動作が、「嗜好品」としての刺激をクリアーできるレベルに到達していると私は考える。





2014年12月19日金曜日

留学の思い出とブラインド

毎朝起きての最初の仕事、それは、「ブラインド」を開けること。

今日の空はどんな表情をしているのだろう。
そんなことを想像しながら、寝室のウッドブラインドに手を伸ばす。

このブラインド。

もちろん、それぞれの家庭の大切な顔ではあるのだけれど、実はそれ以上の意味を持っていた時がある。

90年代に留学中のこと。
とにかくアメリカへと行きたくて行きたくて、必死でお金を貯め、海を渡った。

そして、迎えた留学生活。

もちろん、日本人としてアメリカ人と机を並べることは大変だった。
けれども、長年の夢が叶ったという喜びからそんなことは苦労のうちには入らない。
そして何よりも、毎朝ブラインドを開けるのが楽しみだった。

アパートの下を見ると、足早に行き交うビジネスマン、冬だというのに半袖を来ているアメリカ人学生。

アメリカの縮図が窓の外には溢れていた。
でも、こんな日本では見られない光景にただただ嬉しさがこみ上げるばかり。

あれから約20年の月日が経った今。
毎朝ブラインドを開けると見えるのは、ビジネスマンでもなく、半袖のアメリカ人学生でもなく、ホームレスでもない。

娘に太ってキモいと言われてダイエットをしている中年のサラリーマンだ。

2014年12月5日金曜日

遺言書

私は10数年前に、母を病で亡くした。

母の主な財産は、私のために残してくれていた貯金と、購入したら百万はするだろうと思われる宝石。

貯金のことは、私が家庭を持つまでその存在を知らなかった。

その分のお金は母の死後から約8年間、ずっと父が管理していてくれた。

また、貴金属については一部を形見として貰いましたが、あくまで形見としてしまってある。

他にも細かい財産はあるが、特に遺言があったわけではないし、父が健在なのでなんとなくそうしたものに触れるのは悪いということで、手つかずになっていた。

一応家長で、かなりの堅物の父が総合的に管理しているので、遺産をどうこうするということは特にないなと。

実家の部屋も母が居た時のままになっており、私も宝石を譲り受けたと言っても実際に身につけているのは数あるアクセサリーのうちの1つ2つくらいしかない。

世間では遺言のある無しでその後の相続にもめている人が多いとくが、私の家の場合は2人兄弟なので、まず遺言と遺産をめぐる争いがないと考えていた。

ただ、最近父が遺言を名古屋の司法書士に頼んで作成したと聞いた。

私と兄弟で分けるときに、余計な事に考えを巡らせないでスムーズに事が運ぶようにという事だったが、堅物の父らしいなと思った。